前回の続き
前回の続きです。例を挙げようと思います。
知人はあるテレビ局からタクシーを拾った。
そのとききわめて不快だった私は、運転手氏に「今、ぼく気分が悪いんですよ。テレビに出たばかりなんですけど、私は半日も費やして結局十五秒くらいしか発言できなかったからなんです」とカタルシス(感情の吐露)をした。
その日知人は教育プログラムの座談会に出た。
ほかの先生はすらすら話すのに、彼はどの瞬間に割り込んで発言してよいかわからず、あせるばかりで発言できない自分がみじめであった。
時間切れ直前に司会者が水を向けてくれたので、すべり込みセーフで、ひとこと発言するのがやっとでした。
さてこの場合は「テレビに出なければ食えないわけではない」「テレビで発言できないからといって人生が行き詰まりというわけではない」「テレビで流暢に話せたらそれにこしたことはない」といった具合に、自分を慰めるビリーフを考え出すことはできる。
しかし、そんな気休めは自分を甘やかすだけです。
そこで彼はこう考えました。
「テレビで上手に話せるようになるまで不快に耐えて、何回でも引き受けよう。そして上手になったら出演をやめよう」と。